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2011/04/05

石巻レポート vol.1

3/31
早朝4:30に自宅を出て、ライターNさん夫妻宅へ向かう。
都内のシェフさん達から託された炊き出し用の寸胴やカレーを車一杯に詰め込み、Nさん夫妻とともに東北道を走る。
途中、栃木の高速PAでジャーナリストTさん夫妻、若手農家のK君とO君が合流。
農家の二人は仲間に声をかけて集めた米や野菜、ガスボンベなどの物資を3tトラックに詰め込んでやって来た。
那須高原SAを過ぎ、福島の県境を越えたあたりから風景が変わり始めた。
道は補修後の今もなおうねり、ブルーシートで屋根を覆った家々が点在する。
原発に不確定要素が多いので、福島のPA・SAには立ち寄りづらく、一気に宮城県まで抜ける。
他の車も同様に感じた。
北へ向かう車には何らかの協力や支援の気持ちを持った方々が多いのだろうと思うけれど、それでも原発事故と放射性物質への恐怖心で安易に車を降りることができないというのが正直なところだろう。
東北道を降り、石巻市へ向かう間の風景は然程被害を感じさせるものではなかった。
屋根瓦が崩れ、電柱が傾いたりという状況が散見されるものの、単に地震による被害という面では東京と近いレベルだと感じた。
阪神淡路大震災の直下型地震とは様相が違うと、当時の現場を知る者が話してくれた。


15:30
石巻専修大学に到着。
ここは被災された方々の避難所であるとともに、自治体やNPO等ボランティア団体の活動拠点となっている場所である。
団体に所属しない個人ボランティアの方の登録受付やボランティア保険の加入説明なども行われているようだ。
私たちはその中のひとつのNGO団体と合流。
その後の取材や活動でお世話になることになる。
皆で手分けして荷下ろしを終えた後、ジャーナリストTさん夫妻らとともに被害が大きかったといわれる沿岸部中瀬へ向かった。
旧北上川にぶつかる角を曲がると風景が一変した。


現場に立つ。
ニュース映像で見た光景ではある。しかし。
灯の消えた町に吹きすさぶ凍てつく風、ヘドロの臭い、倒壊した家屋のささくれ。
民家が、商店が、橋が、工場が、つい20日程前まで確かにあった生活がどこを見ても壊されてしまっている。
交差点に船が横たわり、壁には車が突き刺さり、屋根の上に家が乗る、津波被害の恐ろしさ。
あるべき形を失い、意味や価値が宙をさまよう。

闇が覆い始めた通りをさらに車で走ると、ある町工場で一人の男性に出会った。
彼が語ってくれたことに対して、私がここに言葉で綴ることは難しいのだけれど、とても丁寧な口調が印象的で、深い悲しみと慈しみ、意地がない交ぜになった人間の姿だったろうと思う。
別れ際、高台の上に日和山公園という場所があると教えてくれた。
北上川が海へと注ぐこの町の風景が一望できる桜の名所なのだという。



19:00
ベースキャンプに戻る。
農家のK君が携帯コンロで湯を沸かし、珈琲をいれてくれる。
物資を降ろしたトラックの荷台に皆が集まりおにぎりを食べながらの座談会になった。
今晩の寝床はジャーナリストTさん夫妻がご自身の車、ライターNさん夫妻が私の車、農家のK君、O君、私がトラックの荷台となる。
寝袋にくるまった後も話が尽きなかった。みんな震災で色々考えたことが胸に詰まっていたのだろうと思う。
明日は朝8:00に全体ミーティング参加後、ボランティア活動に向かう。


宮崎 純一

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