石巻レポート vol.3
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朝5:00起床。
今日は被災地域の撮影にまわる。
仕事の都合で今日の午前中までしかいられない農家のK君とO君も少しでも多くのことを覚えておきたいと同行する。
初日に町工場の男性に教えていただいた高台の日和山公園へ向かう。
日和山公園より沿岸部を臨む。
この高台には神社があり、町から参道が続いている。
あの日、皆が決死の思いでここを目指したであろうことは想像に難くない。
手を合わせずにはいられない。
参道を降り、立ち尽くした。
この辺りには日本を代表する大きな製紙会社の工場があったのだが、それらも壊滅状態とのことだ。
津波が全てをなぎ倒してしまった。
ここから北へ約30km、さらに被害が大きかったといわれる女川へ向かう。
高台の病院より女川の町を臨む。
3階建てのビルの上に車や船が乗っている。
狭い入り江で山に囲まれた地形のため、波形が高く、また津波が繰り返すうちに水位と圧力がどんどん高まったようだ。
撮影地点の女川町立病院は小高い丘の上にあるが、津波はその駐車場のフェンスをなぎ倒し浸水している。
9:30
ベースキャンプに戻る。
農家のK君とO君は出発ギリギリまで物資搬入を手伝っていた。
再会を約束して、握手を交わし見送った。
11:00
ライターのNさんを介して、今日から現地入りしたNGO共同代表のYさんと東京で飲食店を営むベトナム人のTさんにご挨拶。4人でもう一度今朝のコースを見てまわるため出発。
女川再訪。
ドラム缶を釜戸に煮炊きをして暮らしている家が数戸ある。
話を伺うと、食料はなんとかなるものの電池やガスボンベがひとつも無く、夜はろうそくの灯が頼りだそうだ。
震災から約20日が過ぎ、避難所を離れ、このように自宅に戻り暮らし始めていらっしゃる方がいる。局面がめまぐるしく変わる中、今、どこで誰がどのように日々を過ごしているのかを自治体単独で把握することは難しい。役場や役所、そこで働く人たち自体が被災しているのだから無理もない。必要なところに必要な支援をするために、毎日の町の姿を地図化していくことはNGOの重要な役割のひとつである。
人がぽつりぽつりと歩いている。
知人のアルバムや想い出の品を探していると仰られた。
よく見ると、所々道の隅にカゴが積んである。
自衛隊が撤去作業中に見つけた写真や日記などをまとめて置いていくそうだ。
今、この町はまるで永遠に続くこの世の果てのようにも思える。
それでも人は想い出を求めて歩くのだと、ただその事実を胸に刻もう。
15:00
ベースキャンプに戻る。
ガソリンが心もとなくなってきたので、内陸側のスタンドへと向かう。
内陸へ通じる国道の先には大きなショッピングモール、ガソリンスタンド、三陸道のICがある。信号が機能していないこともあり渋滞している。
かなり手前から給油列最後尾とマジックで書いたダンボール紙を掲げたお兄ちゃんが立っている。
16:00
満タン給油。
10台ほど後ろで販売終了となったのでギリギリだった。
郊外まで足を伸ばしてもこれなのだから、市内中心部ではガソリンは全く足りず、販売すると30分もしないうちに底をついて店が閉まってしまう。
16:30
ベースキャンプに戻ると、ベトナム人のTさんが急遽東京に戻ることにしたので駅まで送ってほしいと言う。17:30に仙台行きの高速バスがあるそうだが、果たして。
駅に着いたが、やはり全く機能していなかった。
消防本部が臨時のバス発着場になっているとわかり、急いで向かう。
そこは自衛隊が臨時の入浴施設を運営している場所でもあるらしい。
発車10分前、間に合った。
Tさんは戻ったら在日のベトナム青年会に声をかけて、ボランティアを組織して来週また来ると言っていた。
車の窓を開けて手を振ると、両手を合わせてずっとお辞儀をしてくれた。
ユニークで優しい人だった。
18:00
ベースキャンプに戻る。
今夜は早めに寝ることにする。
宮崎 純一
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