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2011/05/28

飯舘村


先日の月曜日、取材のため福島県飯舘村で畜産業を営むHさんを訪ねた。
(ここには詳細を省き私見を綴ります)

東京から車で約5時間。
田んぼには稲が植わり、お百姓さんが草を刈る、隣町まであったそんな風景が突如消えた。

「あんたが車を停めたとこは7、ここは15」

口をついて出る数字はμSv/h(毎時マイクロシーベルト)だ。
ここには津波の被災地で見た瓦礫の山など一切なく、ただのどかな山里の景色が広がっている。
代わりに「復興」という言葉がない。

「おらたちには先が見えねんだ」

村全域が計画的非難区域の指定を受けてちょうど一ヶ月が経過した。
今、確かなことは、牛を手放し、仕事も夢も捨て、家を捨て、土地を捨てなければならないという現実。
捨てろ、捨てろ、捨てろ。
どうしてだ。
無理矢理にリセットされる生活。
この先、乳を搾ることも、田畑を耕すこともできなくなる。補償を求めることしかできない。
「復興」ではなく「闘争」の二文字がむらむらと浮かんで、息ができないような苦しい気持ちになった。
Hさんはこの村の牛の最後の一頭の行く末までを見届けるという。

東京に戻って思った。
福島の人は地産地消なんてしなくていい。
県外産でいいじゃないか。安全はもちろん、福島の人には「安心なもの」を食べてもらいたい。
安全だけど安心でない作物は私が食べればいい。
知識と判断と覚悟を持って。


宮崎 純一

LIV -THE VOLVO MAGAZINE-

ボルボのカスタマーマガジン「LIV」の仕事。
初めての海外(U.K.)からの依頼でした。
LIVマガジンは全世界で150万部、年3回の刊行で、70カ国、30言語で配布されています。






ミシュランの星総数が世界最多の美食都市「Tokyo」はまた、眠らない街としても知られています。本誌は実際に24時間かけた美食巡りに挑戦。執筆は料理評論家の山本益博氏です。
取材から刊行までの間に東日本大震災が発生しました。東北各地と同様に、首都東京も今立ち上がろうとしています。お皿の上にも、そしてその皿の向こう側にも幾千の物語があります。
撮影者として、世界各国の少しでも多くの方々が本誌に目を留めていただくことを望んでいます。


宮崎 純一

2011/05/26

チキン 第1の胸肉アダムネ(ヱヴァ飯 No.50)


ヱヴァ飯、RADIO EVAにアップされてます。

丸鶏第3弾胸肉!

フルーツをあしらったオシャレなソースがポイントです。


花渕浩二

「国際料理斗写真機構」
料理斗文章:ハラシママサミ(tokyo delicious
写真斗構成:花渕浩二(eat photo)

ラベル:

2011/05/20

チキン 第3使徒テバサキエル(ヱヴァ飯 No.49)


ヱヴァ飯、RADIO EVAにアップされてます。

丸鶏第2弾手羽先!

今回は美女二人が貪り食います。


花渕浩二

「国際料理斗写真機構」
料理斗文章:ハラシママサミ(tokyo delicious
写真斗構成:花渕浩二(eat photo)

ラベル:

2011/05/17

熱意を形にする仕組み

昨日発売(11.5.23号)のAERAに友人のノンフィクションライター中原一歩さんの記事が掲載されています。

また、中ページ(P53〜)にも記事が掲載されています。
〜ボランティアをしたいと思っている人に〜
「現地を知れば怖くない」

是非ご一読ください。


宮崎 純一

フォトギャラリー





久しぶりにフォトギャラリーを更新。

食材や料理の声を聞くことは生産者やシェフの顔を撮ることに近い。
料理写真はポートレートでもあると思う。

そんなふうにプロフィールに記して一年半やなぁ。
しっかりせんといかん。


宮崎 純一

本手返し


職人の前に立つといつも痺れる。


宮崎 純一

2011/05/16

恵み

















春から夏にかけての山の恵み
味わえることに感謝

花渕浩二


ラベル:

2011/05/14

チキン 第2使徒モモス(ヱヴァ飯 No.48)


ヱヴァ飯、RADIO EVAにアップされてます。

今回は丸鶏を余せず料理にしました。


一発目はモモ肉!

花渕浩二

「国際料理斗写真機構」
料理斗文章:ハラシママサミ(tokyo delicious
写真斗構成:花渕浩二(eat photo)

ラベル:

2011/05/11

六等星

夜空に瞬く星々。

見える星は一等星から六等星まで分けてある。
一等星はあのでかい星だ、六等星はほとんど目に見えないくらいかすかな星のことだ。
だがな、ちっちゃな星に見えるけどあれは遠くにあるからだよ。
じっさいは一等星よりももっと何十倍も大きな星かもしれないんだ。
(ブラック・ジャック/手塚治虫より)


写真は宮城県石巻市。
今日で震災からちょうど2ヶ月となる。
しかし「こんなはずではなかった」という事の渦に巻かれた心には、時間に単位などありはしない。
なにも震災に限った話ではない。
いじめや差別、失恋、離別、落ちこぼれ。
そこに重機は入れられなかったろう。


GW、石巻の保育所で表土改善作業の翌日、以前取材させていただいた漁師のKさんご家族を訪ねた。
この季節、本来ならばコウナゴ漁で浜は賑わう。
写真は宮城と県境を接する福島県相馬郡新地町釣師浜の現在の様子である。


「晴れた日には、今日は沖にでればぁ百万だぁなんで言っで笑っでるよぉう」
東北の漁師独特の朗らかな懐っこさに相好を崩すと、Kさん(おかあさん)は避難所に入って以来綴っている日記を開いてくれた。

孫の保育所で、頭上に桜が咲いていることにふいに気がついたこと。
上を向けて良かったですねという先生の言葉。
寝言を聞けば他人様の財産までわかってしまうという冗談。
避難所である小学校の卒業式にみんなで参加したこと。
亡くなられた生徒さんの代わりに先生が卒業証書を受け取ろうとするその時、列席者皆の携帯電話から地震を予知する警報音が一斉に鳴り響いたこと。
泣いたこと。

文字を指でなぞりながら、出来事を間違いのないように話したいという想いが伝わってくる。
それはまたご自身の心情を告白するようでもある。

漁師の町、釣師浜。
周辺の港が1、2艘を残し、ほとんどの船を失ったのに対し、ここでは全体約40艘のうち実に30以上が残ったという。
最初に地震が起きた時、Kさん(おかあさん)は自宅にいた。
5日前に買ったばかりのテレビを押さえながら必死に念仏を唱えた。
息子さんは母の背に「船を出す」の一言を残し、港へ走った。
津波を斜めに越えながら、沖へ、沖へ。
闇夜を漂い、帰港したのは翌夕方。変わり果てた町に呆然としたが船は残った。
息子さんが跡継ぎとなった当時、喜んだ親父さんが数千万をはたいて買った祝い船だった。
親から子へ受け継がれた船は、受け継がれた漁師根性に守られた。

港は壊れ、海の底は荒れ、事故を起こした原発からは放射能汚染水が放出、壊滅的な被害は承知の通りだ。
しかし果たして本当にもう漁はできないのだろうか。
息子さんは私と同じ歳の38歳なのである。
あの日以来、船にガソリンをいれていない。
もうあんな恐い思いはしたくない。
今はまだ答えがない。
繰り返し、Kさん(おかあさん)は言う。
あの日、あの晩、何があったのか。この浜の漁師達の甲斐性をわかってもらいたいのだと。
「またいつか美しい浜で会いましょう」
そう言って差し出す親父さんの手はでかい。
一年半前の冬、初めてこの地を訪れた時にごちそうになった飯を思い出す。
うす口の醤油でさっと炊いた太い子持ちのカレイの煮付け。
立派だ。
身はホコホコとやわらかく、立ちのぼる湯気に顔を突っ込んだ。
「その顔を見んのが嬉しいんだぁ」

頭上の桜を忘れても、この方々が海を忘れることはない。
春告げ魚は来年もまたやってくる。


<付記>
この日、東京から料理研究家チームが炊き出しに訪れました(被災地支援プロジェクト"COOK FOR JAPAN")。引率担当さんが知り合いで、取材兼お手伝いで現地合流させていただきました。メニューは地元リクエストに応えての魚料理でした。
詳細はこちら


宮崎 純一

2011/05/10

緑色の結婚式





tokyo delicious斉藤 優が誕生石をテーマにした合同展で
毎月1点づつ作品を出して行きます。
誕生石をテーマにした料理(ケーキ)と写真、5月はエメラルド。


住所:東京都渋谷区恵比寿1-8-7三恵8ビル1F
時間:月・火・水・木 19:00-2:00 
   金 19:00-5:00
   土・日 19:00-24:00
休日:祝日

花渕 浩二

ラベル: