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寒さに凍えながら夜を明かした。
桜が咲き始めた春間近の東京と違い、この地ではまだ毎朝氷点下を記録する。
加えて、舞い散る埃と季節病の花粉症が重なり、皆、目を真っ赤にして鼻をすすっている。
8:00
全体ミーティングと体操。
私と農家のK君、O君の3人には「泥かき」作業が割り振られた。
スコップやネコ(運搬用一輪車)を積んだバンの後ろを車でついていく。
国道から一本中の通りへ入ると、車一台がようやく通れる道の両脇にうず高く瓦礫が積まれている。私たちの作業場所はそこからさらに角を折れた30mほどの生活道路である。
道具一式を降ろしたバンは別の作業現場へと向かった。
ここからは私たち3人でこの通りの住人さん達とコミニュケーションをとりながら作業を進めていくことになる。
既に通りの両脇に泥が寄せられていたこともあり、一見したところ、半日で終わるのではないかと思った。
しかし意外や、この泥がやっかいだった。
油を含んだヘドロの塊でかなり重い。
それでも乾いて固まってきているところは幾分作業が捗るのだけれど、水っぽいドロドロしたところが大変。スコップですくって土嚢袋にいれていくのだが、粘着質でなかなか剥がれてくれない。腰をいれてひとかきして、しゃがみこんではスコップから手で削ぎ落とすという気の遠くなる作業の繰り返し。
K君はゴボウ農家で普段から掘るのが仕事、O君は花栽培農家だけれど元陸上自衛官という経歴の持ち主。そんな2人もこの泥には苦戦していた。
いまひとつペースを掴めないままお昼をむかえる。
「食べるもんはあんのか」
「遠慮しねぇでお茶っこ寄ってけ」
通りのみなさんが声をかけてくれるが甘えていたら何をしにきたのやらわからない。
青空ランチだ。
O君がまた携帯コンロで湯を沸かして3人分のカップラーメンを作ってくれる。
自分は嫁さんが持たせてくれたおにぎりの残りを渡す。
全身にカロリーが染み渡っていく。
午後の作業は少し慣れてきて3人の分担もスムーズになってきた。
スコップで泥をかく者、土嚢袋に詰める者、ネコに袋を積み上げて通りまで運ぶ者。
同じ作業を続けると疲れてしまうので、細かく交代しながら進めていく。
通りのみなさんはそれぞれに家の中を片付けていたが、3時になると手を止めて、1日1回の配給を受け取りに出掛けていった。
戻ってくると栄養ドリンクをおすそわけしてくれた。大変貴重なものだろうに。ありがたい。
作業の傍らみなさんとお話した。
被災された方なのだから、食料がない、とか、電池がない、とか直接的に訴えられるのかと思っていたけれど、そうではなかった。
みなさんが広い視野で長期的に考え、これからの国や世界がどうあるべきかを口々に語ることに驚いた。日本の官僚民主主義ともいうべく体質不純をズバリと切ってのけるのだ。
東京にいて、何か安穏とした雰囲気に違和感を感じていた自分の胸に熱いものがこみ上げてきた。
17:00
なんとか作業終了。
30m程の通りをきれいにするのに男3人がかりで丸1日かかってしまった。
ただ、こうした通りには自治体や自衛隊の撤去部隊も人員不足で入ってこれないこともあり、住民のみなさんには喜んでいただけた。
突然現れた3人組が自宅前の泥をさらっていくので、最初は「○○さんのお家のご親戚の方ですか」と言われた。
違いますよと返事をすると、「うちの方もやってもらえるのかね」とあちこちで訪ねられた。
どうにか通り一本きれいにして帰りたいと作業をしていたら色んな人が話しかけてくれた。
震災ボランティア素人で不安もあったのだけれど、普段、フリーのカメラマンという仕事は否が応でも名前の残る仕事な訳で、どこでも同じように恥じることない仕事をすれば良いのだなと思った。
帰り際、どうしても受け取ってほしいと配給品のパンやおにぎりが入った袋を手渡された。
こちらが届ける側なので受け取れないですよと言うのだが、ぎゅうぎゅうと袋を押すようにして受け取ってほしいと言う。
ありがとうの一言がこんなにも肉厚な手応えを持つ言葉であることを初めて知った。
一口に被災地域と言っても、通りを1本隔てるだけで状況はガラリと変わる。
それに応じて必要な支援や物資も違う。
今回作業させていただいた区域は一見すると、被害が比較的小さいところと映るかもしれない。
それでも泥かきをするだけでこんなに大変なのだ。
お年寄りだけの世帯もあり、この程度の作業は住民の方々でやってくださいというのはあまりに酷だ。
ボランティアは人余りになってきた、あるいは、物資は足りてきた、次は仕事だなどという報道もあるけれど、それは一面的なものでしかないと思う。局面は無限でやることは様々、たくさんある。まだまだ人の力が必要だ。
それから気になることがひとつ。
放射性物質は風に運ばれて森林や山の斜面に当たるとそこに滞留する。
そして路面の放射性物質は雨で流されて道路脇に集まるという。
チェルノブイリの調査でもそのような場所で高い線量を観測したデータがあるという。
所によっては今回私たちが行った泥かきボランティアも大変な危険を伴う作業になり得る。
原発事故のあおりで津波被害対応が遅れている福島へ、今後、ボランティアが入っていくとしたらどうなるのだろう。
国や東電にはただただ正確な情報開示を願う。
世の中には危険でも決断してその場に臨む魂の強い人間がいる。そういう人たちが自ら判断して行動できるようにありのままのデータを出してほしいと思う。
19:00
農家のK君とO君を昨日見た被害の大きい地域に案内した後、ベースキャンプに戻る。
1日作業して人の情けに触れた後に見た甚大な被害地域。そこには人情も何もない。
帰りの車中、終止無言の3人。
NGO団体のリーダーUさんがジャーナリストTさん夫妻とともに一時帰京するのを見送った。
Uさんはショックを受けている私たちに握手を交わし、それでも町が凄くきれいになってきてるんだと言った。ぽっと来た自分にはわからないことだが、震災直後に単身乗り込んで支援にあたってきた彼の言うことはきっと住民感覚に近いものなのだろうと思う。ならばそこに希望があるのだと信じたい。
仙台のラーメン屋さんがボランティアスタッフのために炊き出しにやってきた。
突如現れた出店は大盛況。生姜をきかせた辛味噌仕立てのスープに野菜をたっぷり入れたラーメン。芯から温まり、疲れた身体と脳みそが活性化してくる。
おかわり自由というので2杯食べた。
食い物は命の元だなとつくづく思う。
今晩からはUさんが帰京し空いたテントにみんなで寝られることになった。
毛布もたくさんあってとても助かる。
Uさんの親友のライターNさんは彼の代わりに本部での仕事を任され忙しそうだ。
明日は自分も早起きして撮影にまわる。
宮崎 純一